「論語と算盤」(現代語訳版) 大切なものはバランスさぁ。
「算盤」とかいて「ソロバン」と読む、
「ソロバン」はいったい何に使われるもの?
そう、これは数の計算に用いる。
ん? 数学と論語にいったい何の関係があるんだ?
そう、これは「資本経済と道徳」の関係性を示す。
という本についてが本日のメイントピック。
「論語と算盤」、著者は「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。
ノーベル平和賞の候補にもなっていたそうな。
ただ今回は現代語訳版、訳者は守屋淳。
渋沢栄一はこの本でいったい何を伝えたかったのか。
『論語と算盤』-現代語訳- より引用
日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。明治期に資本主義の本質を見抜き、経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。
先に示したように『論語と算盤』は一見すると遠いように思える、
がしかし、これら二つの事柄の間にはとても密接な関係がある。
渋沢栄一's opinon(えーいちおぴにおん)
資本主義が主となった時代、『論語』だけで生活をしていくことは出来ない。
たとえどれだけ徳がある人がいたとしても、道徳だけで飯を食っていくことは残念ながら難しい。そう、生活の為には『算盤』の能力が必要なのだ。
これをまとめると『士魂商才』という言葉になる。
「理想だけじゃ食ってけない、現実とのバランスを取りつつ最善を尽くすことが重要」
主張されてることは思いのほか普通では?……、いや、『普遍的』
『普通』と受け取るのか『普遍的』と受け取るのかでこれは大きく違ってくる。
時代が変わって技術が発展してもなお多くの人の間で読まれていて、
なおかつそれが評価されるのは「みんながそう思ってるから」
「孔子」が書いた、「渋沢栄一」が書いたから。というのは大した意味をなさない。
だけれども、
哀しいことに「多くの人が共感したから」といって状況が変わるわけじゃない。
「ほとんどいかなる場合にもかかる不完全な点の改革よりも、不完全な点の方が一層忍びやすいものである」
「方法序説」において、デカルトは主張する。わりと心にぶっ刺さるパワーワード。
道徳と経済活動の両立を成功させることで初めて社会は、文明として発達する。
いっけん当たり前、普通、
なんなら同じような考えを持ってる人もいるはず。
それでも彼が主張し続けるのは、きっとデカルトの言うような、
耐え忍んでしまう人があまりにも多いという残念な現実ゆえ。
「耐え忍ぶ」点は今の日本と状況が同じ、それに異を唱える人がいるのも。
今の時代ならホリエモンや落合陽一が同じ役割を果たしているように思える。
『普遍的』で語り継がれているのに実行がなされないのは
『普遍』を『普通』に昇華させて飲み込んでしまうからなのか。
それ『普通』じゃなくてただの「我慢」やんけ。
いや、バランスまったく取れてないですやん!!!!!
近代日本の思想なりなんなりを作り上げた人たちは大抵考え方の根底に
「論語」があるからなんなら論語読んだ方が手っ取り早いんじゃね……?
♯ぼやき♯ミーハー
宣言:オナ禁します。