ソクラテス的スタンスは現代に役立つの??
「無知の知」
って言葉はきっと誰もが一度は耳にしたことあるはず。
毒杯あおっていくスタイルで(いたづらになられた)ソクラテスのお言葉でござい。
まんま文章に書かれてるわけじゃなくて、
「自分がまだ至賢といわれるほど物事を知らないことを自覚している」
ということを短くまとめた言葉として知られているだけ。
1:彼の考え方・スタンス
いうなれば
「超 絶 謙 虚」
そしてそこに
「決して『?』を残さない」
という要素が引っ付いている。
神から「一番賢いのはソクラテスだ」と言われても、
謙虚さゆえに「本当に自分が一番なのかどうかを確かめる」旅に出るくらいにはとにかくおごりがない。
その最中に
自分で考えては人と議論、考えては議論……
「ひたすらにインプットとアウトプットの繰り返し」
で彼は自身の思想を深めていってる。
最後はいわゆる「賢者」と呼ばれる人々と話をしてみて
「私は自分が賢であるとは思ってはない、でも他の「賢者」よりかは物事を知っている」との結論に。
といっても彼は自分自身の為だけに生きたのではなくて、
『「国」をよりよくするためにも必要な考えだ』という形で弟子やそのほか若い人達に
彼の考えを伝えている。
このことが、「少年たちを毒した危険思想だ!!!」ということで
裁判にかけられてしまうわけではあるけれど……。
2:今の時代でのソクラテス的生き方
僕が思うに、今の時代ほどソクラテスにとって生きやすいものはない。
一つ時代が昔だったならまた話は違っていたかもしれないけど
今、そしてこれからやってくるだろう時代においてこのスタンスはすごく合ってる。
個人でやりたいことを突き詰めてやっていった結果としてフォロワーが徐々に増えてついには「市場価値」として認知される、
実はこのソクラテス的生き方はまさに
「遊びを『仕事』にしろ」
をそのまま示してる。
でもあれだね、企業勤めは絶対向いてないわ。秒でクビなるわ。
3:社会構造からかんがえてみる彼の生き方
企業勤め的な縦社会の中で生きていくのは苦労が多いのはたしか。
でもこのスタンスは理不尽で論理の破たんしている一部のヒエラルキー構造を
ぶっ壊すのにはかなり有りな生き方。
あくまでも「謙虚」に、自分の信じる道を突き詰めて「真理」を探し求める。
そしてそのためなら可能な限りの行動を起こす、
ここ最近、自分を完全に殺して言われるがままに過ごすことの危険性を指摘する
著名人はたくさんいるけれど、ソクラテス的生き方も少なからずそれに追従するような
ものだと個人的にはおもったり。
あ、ソクラテス的生き方に現代が追従したのか。 #時代錯誤
~ソクラテス的スタンスをどう考える?~